「一度天界に連れ帰ると、多少身体は回復した様子で、存在の維持には問題無くなった。でも『人間を皆殺しにしたい』という感情を一度でも持った天使を、生かしておくことはできないんだ。神や他の天使からは、もう既にЕляを『処分』する話が出ていた。天使が『処分』されることは別に珍しいことじゃない。でも僕は、『治療』することを提案した。
天使が処分されれば、また新しい天使を生み出して1から存在を作らなくてはならない。そういうのは非効率的だと思った。だからЕляを治療して『再利用』できれば……別の天使も同じようにできるかもしれない。Еляの件を通して、人間へ警戒を強めなくてはならないことが分かったし、対策としてシステムを変えた場合、人手不足になることは目に見えて分かっていた。だからここで余計なリソースを使わずに、天使を再利用できたら……この実験は今までにないもので、成功してもしなくてもプラスになるものだったんだ。
提案はすぐに承認されて、実行は発案者である僕になった。別世界に結界を張り、家を建て、治療が開始された。僕はЕляを保護し、Изяが監視として定期的に訪れる。それが、今の状況だ。ЕляがVtuberとして活動している人間界にこの家を繋げているのも、治療のためだ」
「そっか、にいにはえりゃのために色々してくれてたんだね」
ЕляはТоняを見つめ続けていた。その表情は、薄暗い室内でははっきりとは見えなかったが、声色は寂しそうでもあり、嬉しそうでもあった。
予想より大人しい妹の反応に不安を覚えながらも、Тоняは伝えるべき最後のことを口にする。
「……そう。今までそういう風にしてきた。でもねЕля、そろそろ決めなきゃならないんだ。実験は……良い方向に行ってる。本来は僕が決めることなんだけれど、今のЕляには、『意思』がある。だから、Еляがこれからどうするか、Еляの選択に委ねる。Еляが回復しつつあることは分かっている。そうなれば、僕がすることは、一つだ」
Тоняはまた口をつぐみ、しばらくして、話を続ける。
「──『Еляとしての記憶』、そして、封じている『天使だった時の記憶』を消し、君を全て、リセットされた、天使として生まれた頃の状態に戻す。それが、この実験の最終工程だ。これは僕の仕事以前に、『神の意思』であり、『天の意思』だ。僕もИзяも、それに従う。Еляがそれに対してどうするか、それは自由だ。でも僕やИзяがそれに肩入れすることは……しない」
カーテンの隙間から、また陽光が差している。やわらかで正しい光が、床を暖めている。Тоняは何も言わずに立ち上がり、廊下の方へ向かった。
「僕はこの話を、Еляに真実を話す目安として、この部屋を用意していた。魔力のない者には存在すら感じられない、特別な結界を張ってある。Еляの力が安定して、精神が『閉じたままの子ども』から成長したとき……この部屋を認識できるようになる」
Еляも後をついて行き、ついに部屋の前まで来た。扉に何か書かれていたが、Еляの身長では高すぎて見えなかった。
「ここを開けたら、もう後には引けなくなる。この扉を、開けるかい?」
扉の向こうから炎の匂いがして、外で地面を踏む音がした。Тоняにとっては永い時間であったが、少女はすぐに返事をした。
「開けて」
その言葉を聞いて、Тоняは手の中から鍵を取り出した。鍵穴に差そうとしたとき、中で布切れが落ちる音がした。Тоняが一瞬顔を上げた隙に、Еляはドアノブに手をかけた。扉は古い城の門が開くときみたいに、ギ、と音を立てて開いた。
ああ、本当に、それだけのことだったんだ。ただ……それだけのことだったんだ。
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